現存12天守の一つで、さらに日本でわずか2つしか現存しない本丸御殿をもつ高知城に行ってきました。
まずは、城の追手門(おうてもん)から入場していきます。周囲の石垣には大きな石が積まれており、その迫力に思わず見入ってしまいました。

追手門を抜けると、まず目に入るのが板垣退助の銅像です。「板垣死すとも自由は死せず」の名言で知られる板垣退助も、坂本龍馬と同じく土佐出身の偉人です。

高知は雨の多い地域のため、石垣にもさまざまな工夫が施されています。特にこの石樋(いしどい)は、雨水の排水が直接石垣に当たらないようにするためのもので、当時の知恵と技術の高さを感じます。

また、石垣が野面積みになっているのも、排水性を考慮した造りなのだそうです。自然の石をそのまま積み上げることで、水はけを良くし、雨の多い高知の気候に適した構造になっています。
こちらは杉の壇です。ここからは、本丸や三ノ丸の壮大な石垣と天守を見上げることができます。高知城は、城内のどこからでも天守を望むことができる造りになっており、その姿は何度見ても圧巻です。

この鉄門跡(くろがねもんあと)の石垣は、野面積みではなく、切込はぎで積まれています。火災で焼失した後の再建の際に、この切込はぎで積み直されたのだそうです。

そのまま鉄門跡を通って正面を向くと、詰門があります。実は右手に二ノ丸があるのですが、あえて道を見えにくくし、さらに詰門方面へ石段を連続させることで、敵が正面に向かってしまうように誘導する構造になっています。

そして、誤って正面に進んだ敵を、詰門の2階・本丸・二ノ丸の三方向から攻撃できるように設計されていたそうです。
こちらは三ノ丸です。高知城の中でも最も広い平地で、かつては大書院という、大勢の藩士が集まる際に使われた建物が建っていたそうです。

三ノ丸には、長宗我部元親が築いたとされる石垣が残っています。これは、三ノ丸石垣の改修工事に先立つ事前調査で発見されたものなのだそうです。歴史の層を感じさせる、貴重な遺構です。

こちらは二ノ丸です。かつては、藩主が政務を執るための二ノ丸御殿が建っていたそうです。また、二ノ丸と本丸は詰門が廊下橋となって繋がっており、行き来ができるよう工夫されていました。

詰門を通って、本丸へ向かいます。この門は、藩主に謁見するために訪れた家老たちの待合場所だったことから、その名が付けられたのだそうです。

高知城は、この本丸や本丸御殿だけでなく、本丸にあるすべての建築物が残っている唯一の城なのです。歴史的価値の高さに、思わず感嘆してしまいます。

早速、本丸御殿に入ってみます。書院造の建物は、欄間の装飾など細部まで美しく、当時の雰囲気を今に伝えています。

藩主の御座間は、他の部屋より一段高く造られており、左手には武者隠しも設けられていました。格式の高さと、万一に備えた防御の工夫が感じられます。

そのまま本丸御殿から天守へ入ります。天守の1階には、高知城の成り立ちを紹介する展示や、精巧な高知城のジオラマが並んでいました。また、石落としや鉄砲狭間(てっぽうざま)といった防御の工夫も見ることができます。

2階には、再建から廃城、そして昭和の大修理に至るまでの歴史が紹介されていました。高知城がどのように保存・復元されてきたのかを知ることができ、とても興味深い内容です。

3階には、破風の間(はふのま)があります。この部屋からは物見を行ったり、敵に対して鉄砲で攻撃するための構造になっていたそうです。防御と監視の両方を兼ね備えた、実用的な空間です。

4階には、日本100名城の写真パネルが飾られていました。各地の名城がずらりと並び、城好きにはたまらない展示です。

こちらが天守の最上階です。風が心地よく通り抜け、とても爽やかな空間でした。ここからは四方に広がる高知の街並みを一望することができます。

天守から見下ろすと、本丸の建造物が美しく残っている様子がよくわかります。保存状態が良く、往時の姿を今に伝えているのが印象的です。

天守を降りると、そのまま東多聞や廊下門へと進むことができます。このエリアには、当時の土佐藩の人々の暮らしに関する展示があり、城だけでなく当時の文化や生活の様子を感じ取ることができました。

黒鉄門(くろがねもん)を通って天守から降りていく途中に、忍び返しがありました。これは、現存天守の中で唯一残っている忍び返しなのだそうです。防御の工夫が今もそのまま見られるのは、本当に貴重ですね。

現存天守だけでなく、本丸の建築物がすべて残る貴重な高知城。城内のさまざまな場所から本丸を眺めることができ、野面積みの石垣も独特の迫力がありました。また、各所に設けられた説明も丁寧で、お城に詳しくない方でも学びながら楽しめるのが魅力です。ぜひ訪れてみてほしいお城です

