今回は、東北地方で唯一現存する天守を持ち、「現存十二天守」のひとつでもある弘前城に行ってきました。
天守のほかにも、いくつかの現存する建築物が残っており、こちらは「三の丸追手門」です。江戸時代の途中からは大手門として使われていたそうです。

三の丸を進んでいくと、堀の向こうに「辰巳櫓」の姿が見えてきました。

この「二の丸南門」をくぐると、二の丸へと入ります。二の丸南門は、弘前城築城当初に建てられたものだそうです。

二の丸には、いくつかの櫓が現存しています。こちらは、南西の方角に位置することからその名がつけられた「未申櫓」です。

二の丸には、馬場跡も残っていました。その手前には「二の丸御高覧所跡」があり、かつてここに建っていた建物から、藩主が藩士たちの馬術を観覧していたそうです。

弘前城では、2014年から石垣の解体修復工事が進められています。来年には天守が元の位置に戻される予定とあって、石垣もかつての姿を取り戻しつつありました。

こちらが天守です。本来は本丸南西の石垣の上に建っていましたが、現在は修復工事のため、本丸の中央に移されています。岩木山を背景に、天守と本丸を一緒に写真に収められるのは、今だけの貴重な光景です。

天守は正面側から内部に入ることができます。

天守に入ると、「石落」と呼ばれる防御用の設備があります。本来であればその下には石垣があるはずですが、仮設の場所に移されている今は、すぐ下が地面という、普段は見られないユニークな構図になっていました。

こちらは2階。現存天守だけあって、階段はかなり急で、当時の構造がそのまま残されているのを感じます。安全面への配慮から、鉄筋でしっかりと補強もされていました。

こちらが天守の最上階です。もともと規模の小さな天守ということもあり、やや手狭な印象を受けました。

天守を出たあと、あらためて本丸を歩いてみました。かつてこの場所には、本丸御殿が建っていたそうです。

本丸は高台に位置しているため、西側に広がる西の郭を一望できます。さらにその向こうには、岩木山の雄大な姿が遠くに望めます。

本丸を抜けて、北の郭にやってきました。ここからは、修理の対象となっていない本丸の石垣を間近に見ることができました。

そのまま二の丸へ戻ってきました。こちらは「与力番所」と呼ばれ、かつては見張り所として使われていた建物だそうです。

こちらは「二の丸東門」です。この門も弘前城の築城当初に建てられたものだそうです。

そのまま進むと、「三の丸東門」があります。この門も、弘前城の築城当初から残る貴重な建造物だそうです。

少し離れた場所にある北門へ向かいます。
途中で「丑寅櫓」が見えました。この櫓は丑寅(北東)の方角に位置しています。

四の丸までやってきました。二の丸や三の丸と比べると、植物が少なく、やや殺風景な印象を受けます。

追手門の逆側に位置する北門まできました。築城時は、この門が大手門だったそうです。あまり感じませんでしたが、現存する他の四棟の城門に比べて規模が大きいそうです。

多くの現存建築物が残る弘前城は、見どころが本当に豊富でした。修復工事もあと数年で完了予定とのことなので、今度は絶景で知られる桜まつりの時期に、ぜひまた訪れたいと思います。