今回は、武田信玄の居城として知られる躑躅ヶ崎館(武田氏館)に行ってきました。
甲府駅前には、堂々とした武田信玄公の像が鎮座しており、甲斐の国に来たと実感させられます。

甲府駅からタクシーで、駅前の通りをまっすぐ進むこと約10分。目的地の武田神社に到着します。ここが、かつての躑躅ヶ崎館の跡地です。

「人は城、人は石垣、人は堀」――武田信玄の有名な言葉がありますが、実際の躑躅ヶ崎館は、人ではなく、しっかりと堀と土塁で囲まれた立派な城郭でした。

躑躅ヶ崎館は、主郭とその周囲に配置された複数の郭(曲輪)で構成されています。現在、主郭の跡地には武田神社の本殿が創建されています。

城郭の周囲や各曲輪の間は、しっかりとした土塁で区切られていました。こちらは、中曲輪と西曲輪の間に築かれた土塁です。

こちらが西曲輪です。武田信玄の長男・義信の結婚に合わせて整備されたとされ、当時は義信の新居が建てられていたそうです。

西曲輪の南側出口のあたりには、土塁に登れる場所があり、実際に上がってみることができました。

西曲輪の北側には、枡形虎口の跡があります。戦国時代後期や江戸初期の城に比べると構造は簡素ですが、石垣が一部に使われており、確かに枡形虎口であったことが確認できます。

反対側から見ると、枡形虎口の形がよりよくわかるかもしれません。

枡形虎口門跡を抜けて城郭の裏手に回ってみると、空堀が残っており、土塁の高さもよくわかります。

こちらは大手石塁跡です。武田氏の時代のものではなく、豊臣政権下で築かれたとされており、当時はこの石塁の上に何らかの建物が建てられ、大手門を防御していたと考えられています。

こちらが、躑躅ヶ崎館の当時の正門にあたる入り口です。武田信玄もかつてここを通って城へ出入りしていたと思うと、歴史のロマンを感じますね。

甲斐の統治は江戸時代に甲府城へと移ったためか、武田氏時代の遺構がきれいに残されていました。宝物殿には、有名な「風林火山」の軍旗をはじめ、武田氏ゆかりの品々が多数展示されており、一見の価値ありです。
武田信玄ファンなら、ぜひ一度は訪れてみてほしい場所です。